2007年12月24日

メリーミトラスマス!

日本に住むものはみなこの時期になると今日のことを自覚しないで過ごすわけにはいかないだろう。
今回は今日という日にぴったりな情報をお届けしよう。

さて、それというのはミトラの話である。この言葉・・・神の名前・・・を知っているものはそう多くないだろう。熱心なルドラー(『ルドラの秘宝』が好きな人)を除いて。彼らにとっては「ミトラ」は朝の挨拶のように当たり前の言葉だ。もちろん筆者もそうである。
さて、なんでこの日とミトラなのか?と疑問に思うことだろう(一部の人には有名な話だが)。それがまた複雑ないきさつがあるのだ。
諸君はこれから、世界の真の姿を目の当たりにすることになる。得体の知れないものを讃えてうかれているのは日本人だけではないのだ。

1.ミトラの謎
ミトラとは何か。これについては、筆者は以前ある場所で「世界の宗教を影で操るラスボスかもしれない」と発言したが、あながちその言葉は的外れではないようなのだ。以下、資料をもとにした解説を行う。
今回参考にした資料は2つある。『ミトラス教研究』(小川英雄著、リトン)と『ミトラ神学』(東條真人著、国書刊行会)だ。前者はミトラス教(この辺の異同は後述)研究の創始者とも言えるフランツ・キュモンやそれを更に推し進めたM・J・フェルマースレンに十分に学んだ、世界でも(たぶん)屈指のミトラス教研究家による考古学的な部分が大きい著作である。
一方後者はというと、彼もミトラに魅せられた人物という点では似ているのだが、他の著書に『天使ミトラの恋愛タロット』(国書刊行会)というのもあり(しかも著者はたまたまそれを持っている)、安直な言葉で言うと、怪しい。彼は神智学という、学問化されたオカルトといっていいものの研究者である。しかし見下すなかれ、彼の知識の量は相当なものだし、言っていることも(一部を除いては)深い洞察に根ざしており、聞く価値のあるものだ。そして何より、彼の語るミトラ像はあまりにも壮絶だ。
今回は確かな小川英雄氏の研究ベースに、よりファンタスティックな東條氏の主張を注意しつつ引用する。「東條氏」とあるところは、まあ眉に唾をつけて読んでもらいたい。
これでもうミトラと聞いても首をかしげずにすむようになるだろう。

2.ミトラとミトラス
そろそろ言わねばなるまい、なぜ今ミトラなのか。それは「クリスマスはイエスの誕生日ではなく実はミトラ教のミトラの誕生日で、それをキリスト教が借用して祝っている」という噂のためである。聞いたことはないだろうか。
筆者はその噂は本当なのか、本当だとしたら我々はどのように今日を祝うべきなのかを付きとめるべく、世界でも有数のマイナーさの、ミトラス教の専門家の書を紐解いたのである。
まず注意して欲しいのは、ミトラおよびミスラ(Mithra)とミトラス(Mithras)という言葉が存在し、二つは同一のものではないということだ。
ミトラはイランの神で、アヴェスタ(マズダー教、俗に言うゾロアスター教の聖典)にその名前が見られる、「アフラ・マズダの盟友」「光の君」「真実の神」とも呼ばれる太陽神で、ミトラス教は起源4世紀ごろまでにローマ帝国を席巻し、キリスト教としのぎを削り、最終的にはキリスト教に覆い隠されてしまった宗教である。
両者の関係には諸説あり、オリエント世界からヨーロッパに移るに従って姿を変えたものだとは思われているものの、明白な違いもいくらか見られるので、「ス」の差とはいえ違うことを認識しなくてはいけない。ちなみにクリスマスの元になったと言われているのはこっちのミトラス教の話である。間違いなきよう。

3.牛を屠るミトラス
ではミトラス教とはどういった宗教なのか。それを説明しよう。小川氏によると、ミトラス教は3つの特徴がある。「牛を屠る神としてのミトラス」「七つの位階」「英雄としてのミトラスの一代記」である。
牛を屠るというのがミトラス教の最大の信仰手段であり、牛を屠ることによって救済されようとするのがミトラス教といってもいい。特にそれは図像学的に顕著であり、牛を屠る神の像はイタリアやドイツの洞窟に見出され、それがミトラなのである。位階というのはランク付けのことで、ミトラス教が密儀宗教だということをよく表している。例を挙げると、宗教ではないがフリーメーソンリーの基本的な位階は上から「親方」「職人」「徒弟」である(一部では上の位階がもっとたくさんある)。
三つ目のはイエスのようにミトラス本人の奇跡的な行いが(真偽はどうあれ)記録されているということで、最も重要なのは「岩から産まれた」という概念である。

4.ミトラスのバースディ
さて、問題のクリスマス=ミトラス教説の証明について。これは東條氏は是も非もなく認めているのだが、さすがに小川氏は慎重である。ミトラス教研究の祖であるキュモンはこの点も指摘しており、キリスト教とミトラス教の類似点を数多く挙げている。日曜と12月25日の祝祭をはじめ最後の審判の概念や霊魂不滅の教えもミトラス教は持っていたらしい。
しかし厳密に学術的な見地から言えば、明らかに形として残されている美術上の影響以外は、お互いの相互関係は確証不可能なようだ。たまたま同時代に存在していただけで、キリスト教がミトラス教を取り入れたのか、二つが共通の祖先を持つのかがわからなく、現在の研究ではそれをやっきになって証明しようとする者はいないようだ。
学問として調べてしまうとまこと灰色の結論となってしまうが、神話的に考えてみると・・・これについては筆者なりの意見があるので、この文章の最後に述べることにする。
とりあえずミトラス的にクリスマスを祝いたいのならばやはり牛を屠ってみるのがいい。そうすれば君はたぶん救われるだろう。

5.ミトラス、日本に立つ
ついでにミトラスの影響はクリスマスだけでないことをお教えしよう。なんと、ミトラスは日本に来ているのだ。まるで木村鷹太郎の「邪馬台国エジプト説」のような壮大なものなので何をバカなことをと思うかもしれないがあくまで間接的に、の話である。中国から伝わってきた伎楽という今はほとんど失われた仮面音楽劇がミトラス教起源だと言うのである。これは小川氏が主張していることだ。
正倉院にもその際の仮面が残っているらしいが、そこで登場する七つの役、これがミトラス教の七つの位階「父」「太陽の使者」「ペルシア人」「獅子」「兵士」「花嫁」「大鴉」に妙に一致するのである。伎楽はほとんど残っていないし、相当過去に消えたものなので思いを馳せるのさえ難しいが、イラン起源のミトラがローマを(ここの繋がりが不透明だとはいえ)通り、特大のUターンをして日本にたどり着いたと思うと何か嬉しくなって来るものがないだろうか。
ちなみに東條氏の語るところによると、ミトラ自身もやはり日本に来ているのである。それは後に触れる。
歴史学者であるE・ルナンのあまりに格好いい発言をもってこの項を締めくくろうと思う。小川氏はこの言葉は言い過ぎだと述べているが。
『もし、キリスト教がなんらかの致命的欠陥のためにその発展途上で停滞するようなことがあったなら、ミトラス教が勝利を占めていただろう』

6.ミトラ→ミロク
さて、クリスマスの話は一旦置いておいて、今度はその根源たるミトラ、世界を支配する神としてのミトラの話である。
確かそうな話からいこう。「ミトラ=弥勒」説というものがある。これは小川氏も触れており、あながち荒唐無稽な話ではないようだ。
まず名称。ミトラがミロクに似ているなどと早まったものではなく、後者のサンスクリット語形のマイトレーヤ(Maitreya)にミトラが近いというのである。これならそれなりに信憑性があるだろう。
そしてもっと肝要な中身の類似だが、小川氏は救済神=未来仏という共通点を指摘している。ただし質的には変化したものであるミトラスに弥勒は近いらしく、その理由を説明しなければならないとも言っている。
一方東條氏はこれはもう前提として認めている。こうしてしまうと、もう芋づる式に世界の神々が繋がっていく。ヒンドゥーの終末に現れこの世を浄化すると言われている白馬の騎士、カルキ=アヴァターラもミトラと関係がある。これはミトラ教、キリスト教、ヒンドゥー教の終末論が融合して生まれた救世主像だと東條氏は述べており、これに関しては筆者も同意である。何もミトライコールそれだと言っているわけではないので。
さらに弥勒繋がりで日本では七福神でお馴染みの布袋ももとはミトラである。弥勒=布袋は一つの化身とはいえ確かなことらしいので、ミトラ≒弥勒ならばミトラ≒布袋といってもあながち間違いではないのだ。
そもそも七福神は大黒=シヴァ、弁天=サラスヴァティーなどインド起源の神も多く混じった、謎のオールスター軍団なのだ。イラン起源の神が混じっていてもそう違和感はない。
さらにミトラは拡散していく。ユダヤ教で最も神に近い存在で小ヤハウェとも呼ばれ、36万5千の燃える目と36枚の翼を持つといわれる謎の天使メタトロンもミトラ起源らしい。
メタトロンは神に認められ天に上ったエノクが変化したものとされており、筆者が昔調べたところによると語の意味は「契約の天使」なので、正義、誓約の神と呼ばれるミトラとの関係は無いとは言えないだろう。ミトラトン(Mitraton)というメタトロンの変名を挙げられたらなおさらである。

7.ミトラinギリシア
まだまだミトラの進撃は続く。今度はギリシアだ。まず太陽神であるヘリオスだということになる。これはミトラスが不敗の太陽(ソル・インヴィクトゥス)と呼ばれているように太陽の神なので、むしろ混同されたといっていいだろう。
次にメデューサを退治したペルセウスだ。彼の名前は「ペルシアから来た者」という意味で(ペルシアから来るのはもちろんミトラである)、みだりにミトラの名前を口にしてはいけなかったからこの名前が定着したと説明されている・・・この説は比較的怪しいので、ペルセウスに対する信仰を調べてみないことにはなんとも言えない。
さらにである。東條氏はギリシア神話の神々の後継としてミトラスが考えられていたと言うのである。つまりサトゥルヌス(クロノス)からジュピター(ゼウス)に支配権が交代したあとで、ミトラが最上の存在となったと考えられていたらしいのだ。
これは一見馬鹿げた説だが(ゼウス達の世界にそんな得体の知れない神を持ちこむなんて、と思うだろう)、最近の筆者の見解によるとそもそもギリシア神話を一つのものだと考えること自体が怪しいので(というより神話をどの時代、地域でも同じととるのが問題なのだ)、ありえないパターンではない。
バッカス(デュオニソス)に関してもどうやら別の宗教一派を無理矢理習合したもので、オリンポスの神の中では異質な存在だ。
その王座をマリヤッタ(マリア)に奪われたワイナモイネンの例もあるように、次にミトラス教が興ってきていればそう考えられたとておかしくない。

8.クリスマスは誰のものか?
このようなミトラ、ミトラスの版図の拡大には簡単な理由が考えられる。ミトラの存在が古い以上、次の時代の何かに影響を与えていたといってもおかしくないということなのだ。よく考えれば当たり前の話である。
ビートルズが日本の・・・例えばザ・タイガースに影響を及ぼしたとは考えられるが、逆は時系列からいって・・・ないだろう(例がわかりづらいか?)。
同じようにクリスマスも確かな研究によると完全な繋がりはわからない。もしかしたら無関係かもしれないのだ。
もう一つ喩えを挙げよう。知り合いでない二人の人間が双方とも横断歩道を歩く時に白い部分のみを歩く癖があるからといって二人が親が同じだとか、同じ本を読んだだとか、同じ宇宙霊の声を聞いただとかと決めることはできないだろう。
つまりたまたま同時に考えることだってありうるということだ。それを突き動かしている力の正体はわからないが、この現象に関しては起こりうることだろう。
クリスマスの場合に関してもポイントは冬至に近いということである。
冬至と太陽神の誕生の関係は明白だ。その日を境に太陽は力を盛り返しはじめ、もはや力を失うことはないからである。
そして新年とも関わりがある。日本の大晦日から新年への過ごし方と、クリスマスのイブという概念が似ているとは思わないか?どちらも二日セットであり、それはその間に重要な境目があるということである(ちなみにハロウィンも二日セットの祭りで、もとはケルトの新年祭だといわれている)。
新年と誕生にも関係がある。エリアーデ神話学で言うと人は一年ごとに死と再生を繰り替えすもので、大晦日になると一旦世界は終わりを迎え、元旦に新しく創造されるというのが意識下にあるらしい。
というわけでこの三つの誕生祭は元をたどれば同一で、普遍的なものなのである。誰でもその時期に誕生を祝うべきなのだと思う。
だから今日の主役(の神)は誰かというわけではなく、色々な宗教の合同誕生会なのである。選択は自由だ。
人々はイエスと同時にミトラ(ス)も祝福している。
ミトラ派はこう言えばいいだろう(もちろんこの表現に根拠はないが、語呂が合うしいいじゃないか)。

メリーミトラスマス!


ただ、さすがにクリスマスでと新年両方大騒ぎするのは間抜けだが。
(せっかく生まれ変わった人生を一週間で終わらせてどうする?)

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