2009年08月23日

暗黒への前奏曲

「もしある男が致命的に息が臭くて、会う人会う人に不快感を与えるとする。この人が周囲に貢献、もしくは迷惑をかけないためには、どうすればいいかね?」
「誰とも人と接触しないことです」
「その手段はどんなものがあるかね?」
「誰もいない無人島に行くか、この世からいなくなることでしょう」
「その二つの手段にはどんな違いがあるだろうか?」
「無人島の方は当人の意志もしくは偶然により、世間に復帰する可能性があります」
「そのことは他者にとって利益かね、不利益かね?」
「彼のその性質のみを考えるのなら、不利益でしょう」
「ということは無人島の方は後者の不徹底なものであって、よりふさわしいといえるのは後者だと言えるかね?」
「言えますね」

「ではそこで考えてみたまえ。先ほど挙げた人物、これを近づくものにすべてマイナスの利益を与えることから『暗黒』と呼ぶことにするが、この『暗黒』が自分の悪臭にまったく肯定的で、自分では何ら不利なこととは思っていないとする。このとき、周囲の人の被る損害は減るかね?」
「いえ、変わりません。本人がどう思おうと、悪臭は消えません。むしろ、彼が積極的になることによって被害は増すと考えられます」
「ならば君は、ある人間の価値、世の中への貢献度合いは、本人の意志に関わらず決定される、ということに同意するのかね?」
「いいえ。意識の面では、確かに価値には何ら影響を及ぼしませんが、行動に繋がる意志に関しては別です。この場合なら、香をたくなどして悪臭を消すか、悪臭が与える損害以上の貢献を周囲になすことによって、価値を生み出すことができます」
「その時、『暗黒』当人にとっては先ほどの肯定的に考える場合に比べて損かね、得かね?」
「他者には必要ない努力を要するという点で、損でしょう」

「すると『暗黒』の身の振り方には三通りの道が考えられるわけだ。この世を去る(1)、肯定的に考えるつまり何もしない(2)、努力して欠点を補う(3)、このうち(2)では他者に、(3)では当人に不利益があることがわかっている。とすると(1)が最上の答えということになりはしないかね」
「死について何らマイナスの評価を持たない限りにおいてはそうです。しかし死は悪いことで、生が続くことは良いことと考えることもでき、そうすべきです」
「その良い悪いは誰にとっての価値なのかね?」
「死者ではないことは確かです。彼はもう考えることはできませんから。死のもたらす悪い影響を考えると、やはり残された人々にとってでしょう」

「では(1)は周囲に負、(2)も周囲に負、(3)は当人に負となり、どれを取っても損害が出るわけだ。この損害はどこから来るのかね?」
「『暗黒』の持つ悪臭という性質です。これは生得的なものです」
「では別の性質、誰彼かまわず悪態をつく、などはどうかね」
「これは本人の行いの結果によるものでしょうが、望んでそうなる人はいないのでやはり自然に身に付いたものだと考えられます。そして容易に手放せない、やめるのに努力を要するためにこれに加えてもよいでしょう」
「すると人は、偶然的にこういった逃げ場のない不利益に見舞われるということだね」
「はい」

「この誰かに損害をもたらす性質とはどのようなものだろうか?」
「今までの例でわかるように、周囲に不利益を与えるのみの行動および性質です。盗みなどは当人には利益と言えるので、これにはあてはまらないでしょう」
「そんな性質が存在するのかね?悪態をつく場合は当人にとって気分が良くなるので得と言えないかね?」
「そうですね・・・では『暗黒』の持つ性質の定義を『不可避的に周囲に損害をもたらすこと』としましょうか。意志で簡単にやめられることはつまり(3)を労せず選べることなので、他の選択肢は必要なくなります。盗みについては意志で止められる限りこの定義から排除されます」

「ではもう一つ、『暗黒』は他の者より死、つまり自殺に近いとは言えないかね」
「言えるでしょう。日々(2)か(3)を選び、(1)を選ぶのをやめる点で常に死が思考に上っていると言えますし、さらに他者や自分の損害より死の方が軽いと考えうる場合、特に『暗黒』の不利益が大きければ大きいほど――(2)(3)の不利益が増大するのに比べ(1)の不利益は変化しないので――(1)が可能性を持ってくるでしょう」
「ではそのように(1)に近づく人間は罪かね?」
「『暗黒』の性質が不可避のもの、望んだものでない以上、悪いと言うことはできないと思います。さもなくば、存在自体が許されない人間がいることになってしまいます」
「ということは、世の中には偶然かつ逃れようもなく死に近い人間がいて、そのことは仕方のないことだ、と言えるかね?」
「言えます。われわれがその性質について意見することはできますが、真っ向からそれを否定することは彼の性質を否定することになり、それはさらに他者が甘んじて受け入れるという(2)の可能性を潰しますます(1)に向かってしまうので、すべきではないことです」
「それならば、誰かが『暗黒』のようなものだった場合、どの選択肢を取るように意見するのが良いだろうか」
「(1)は防がねばなりません。(3)が実行されるに越したことはないですが、どこから来たのかわからない負担を本人にすべてかけさせるというのは幾分非情でもあります。周囲の者は(2)を多少なりとも考慮するべきではないでしょうか」
「よろしい。『暗黒』の持つ性質の理解ができたところで、この話はここまでとしよう」
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