2009年05月12日

まぬけのウィルソンのカレンダー:5月

すべてを失くしてからは ありがとうと思えた。

91
音楽聴衆の二律背反。――クラシックの聴衆は間違っている。良い音楽を聴いた時にじっと座っていられるはずがないからだ。ロックの聴衆は間違っている。良い音楽の演奏時に騒いだりして音を立てるなどもってのほかだからだ。結果、どっちもどっちということで、どちらも正しい。

92
音楽の評価基準。――歌の場合には、歌詞と曲の重視する比率が人によってばらばらだ。歌詞がよければ音楽は月並みでよいという人もいれば、主に洋楽のファンに多いのだが、最初から歌詞を理解しようともしない人もいる。どういう割合がよいかということだが、やはり半々を目標として両方の理解に努めるのが一番だろう。一方實吉晴夫氏は、歌詞が22%、音楽が78%と細かく割り振っているが、これは作曲者がシューベルト、詩が凡庸詩人のミュラーだからである。半々の見積もりだと、およそ歌詞はどうでもよいのに曲が素晴らしいため他の凡作を上回ったりする。その例にはRhapsodyからのソロ、Luca Turilliの音楽を挙げておこう。つまり50%の中身があまりに充実しているため、残り50%がほぼゼロでも他者を凌駕するのである。

93
アルバム編成と捨て曲。――「捨て曲」があるとかないとかと言う人がいる。アルバムの後半の曲は聴かれづらく、「捨て曲」認定をされやすいが、サージェントペパーズを出すまでもなくわかるように、アルバムを一つのシンフォニーとし、完全な調和を計算して作る連中もいるのだ。オフスプリングはその典型である。後半の曲の位置的不便さは作曲側もよくわかっており、しばしば第一印象が派手でないパッとしない曲を入れる。しかしこういった曲は噛めば噛むほど味が出る種類のものだ。後半の曲の良さを理解しないでそんなことを言う輩は即刻ゴミ箱に自身の耳を捨てるべきだ。さらに言うならば、後半にある穏やかな曲を聴こうとしない人は音楽が好きなのではない。どんちゃん騒ぎが好きなだけだ。飲み会でもやっているがいい。

94
通のしるし。――何かに詳しいということを示す現象の一つとして、「流行るものを数年前から知っている」ということがある。いささか自慢になるが筆者もマンガでは大島永遠や浅野いにおや福満しげゆきが、音楽ではバックホーンやシロップ、9ミリパラベラムがあそこまで世に出る前から目を付けていた。大島永遠がサンデーGXに載ったときはたいへん喜んだものだ。このことが意味することは、良いものは世界中にごろごろしているのだが、流行ったり注目されたりするものはそのうちの一握りで、しかも流行るものと流行らないものとの差は何もない。通は良いものはすべてマークするので、あとで目立ってくるとさも以前からわかっていたかのような顔をするのである。良くても流行らないものがその何倍もあり、この話をする時にそれらは忘れられている。すべては宣伝がうまくいくかだ。井沢元彦が言うように、「宣伝しないものは存在していないのと同じ」なのである。

95
セクトと宗教。――ロジェ・カイヨワが言っていたのだが、フランスですぐ新興宗教に対して使う「セクト」というものは秘密結社的意味合いがあり、フリーメーソンもセクトらしい。彼らは新興宗教を秘密結社扱いするのだ。ということは『悪霊』のピョートルの革命組織もセクトと呼ばれることになるだろう。日本における新興宗教の見方よりも宗教かそうでないかの区別がないといえる。

96
ケストラーの生物。――アーサー・ケストラーはしごく真面目で科学の勉強もそれなりにしているのだが進化論についてはおかしな考えを持っていた。ダーウィン説を否定したいがためにラマルキズムをまるで金科玉条のように崇めていたのだ。それはまるで背面跳びを意地でも避けてベリーロールで記録を出そうとする高跳び選手のようである。

97
カッコウの示す真実。――なぜ社会はすべての人を救えないのか?鳥は答えの一端を示している。カッコウに托卵される鳥はその時の為の判別、排除機構を進化させていない。なぜならそうした異常事態にわざわざ適応して無駄なエネルギーを使うよりは托卵で失う卵を出してでも平凡なシステムで生活する方が労力が節約されるからなのだ。社会もそのように回っている。

98
ミツバチの民主主義。――アリが社会を形成しているとはよく言うが、民主主義を採る昆虫がいるというのは驚きだろう。ミツバチは移動の目標地を調べるため方々に斥候を出し、それぞれが自分の見てきた方角の良さをアピールする。そうして無言の議論が続いた後、大多数がどれか一つになびくとそちらの方角へ決定されるのである。いつまでも決まらずに、二つに分裂する例もあるという。この一見画期的なシステムはとっくの昔から、アメリカ建国より地質学スケールで前の時代から考え出されて実行されていたのだ。

99
神話と世俗。――『食卓の賢人たち』によると、ギリシャ神話のスフィンクスのようななぞなぞというものは知識階級の間でも流行っており、もし答えられないと一気飲みさせられるという、現代でも何も変わらずに行われる習慣があったらしい。スフィンクスの神秘的な謎かけとは随分かけ離れた、われわれにやたら近い連中である。

100
エリアーデ的日々。――太陽は聖なるものだ。とても直視していられないから。虹は聖なるものだ。追いかけても追いつけないし、刹那にしか存在しないからだ。星は聖なるものだ。毎日変わらずに空に輝いており、はるかな昔の人も見上げた光だからだ。そして空・・・見上げることは別世界に思いをはせることとなる。いつどこにいようとも。
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