吐きたい時に人はなし
死にたい時に歌はなし
いや 歌はある それは
月のように欠けもせず
人のように背を向けはしない
いつまでもそこに 永遠の調べを
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機能としての涙。――忘れてはならない。泣くとは表現ではなく機能が先立つものだ。つまり行う当人にとって役立つからそうするのだ。それは精神的に異質な、限界を超えるものに遭遇したときに判断力を崩壊させ、問題に冷静に目を向けないように仕向ける。しかし一方でそれが周囲に対する強力なアピールになるということも人は生まれた時点でなぜか知っている。本来人は集団で生きる動物なのだ。こう言ったからといって、涙の価値を低く見積もっているわけではない。ゲーテのこういう詩もある。「涙とともにパンを食べたことのない者、悲しみに満ちた夜を自分のベッドに座って泣き明かしたことのない者は、あなた達、天上の力を知らぬ」
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ピアノの難易度水準。――以前からやりたかったことのひとつに、ピアノ曲の技術的な難易度を定量化して表せないかということがある。それは「情報」の概念を利用すればうまく扱えるように思える。つまり時間当たりの情報量が多い曲ほど技術的に難しいということだ。ここで情報を使うのは、単純に音符の量や速さが指を動かす際の障害になるわけではないということに経験的に気づいているからだ。どういうことかというと、ドレミファソラシドシラソファミレのようなスケールは「前音+1」というルールに集約できるためそんなに難しくない。ドミレファレファミソミソファラのような音階も「4音のパターンを2度ずらす」という風に省略できるためあまり頭が混乱することはない。つまり、どんな風にも単純化、圧縮して記述できない曲ほど難しい、というのがこの見方の基本である。
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小説の意味。――前にテーマは重要でないと言ったが、それの最たるものとしてルイス=キャロルの不思議の国、鏡の国のアリスがある。あれは目的としては女の子に聞かせるホラ話であるが、特に科学者のインスピレーションを刺激し、多くの比喩を提供するようだ。生物の進化競争においてその場に留まるためには全力で走り続けなければならないというリー=ヴァン=ヴェーレンの「赤の女王仮説」をはじめ、姿は消えてチェシャ猫のにやにや笑いが最後に残るのはどんな状態なのかという議論や、世界が誰かの見ている夢だとしたら存在するとはどういう定義で確認できるのかという思弁的な疑問も投げかけられている。読み直してみて気が付いたのだが、ギャグマンガ日和と非常に類似したシーンもある。馬から落ちて足以外地面に埋まるというのがそれだ。増田こうすけもここに示唆を得たのかもしれない。他にも印象的なセリフは多いので、一度読んでみるとよいだろう。
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手間を省くための工夫。――ドーキンスが言っていたのだが、パソコンのファイルの削除とはファイルの情報をすべて抹消するわけではないらしい。ファイルがどこにあるかという「指標」を無くして、上書き可能の指令を出すだけのようだ。こうするといちいちデータをすべて消す手間が節約されるわけだ。つまりハードディスクの空きスペースは単に「利用可能スペース」を表しておりまったく何もないわけではないのだ。このことは復元ソフトで消したファイルが発掘できることからも実証されている。うまい手段を考え付いたものだ。
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人間を超えるもの。――誤解の元であるニーチェの「超人」についてふさわしい訳語を発見した。「跳人」でどうか。「Übermensch」の「über」は明後日が「Übermorgen」であるように跳び越える、というニュアンスがある。これで少しは彼が理解されるとよいが。
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今日を生きるために。――右手に「しょせん」、左手に「過ぎない」を。数多くのことをこれで耐えてきた人がいる。
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社会と毒。――会社の指標の一つである「三年離職率」と毒物の強さを表す「半数致死量」は似ている。どちらも耐えられる生物とそうでない生物がいることを表している。
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ことわざの進化論。――「情けは人のためならず」という言葉は功利主義的な第一意義よりも同情の危険性を述べる第二意義のほうがずっと意味のあるもののように思える。こう読む人が増えてきたことはむしろ喜ぶべきことではないか?
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進化をこの手に。――生物の本を読むたびに、進化をコンピューターで再現してみたいという欲求に駆られる。ごく原始的なプログラムのバイオモルフというものは試みられている。現代の技術ならばより自由で複雑なものを一般人に提供できるのではないだろうか。シムアースよりも46億年物語よりもさらに実際的で多様性のあるものを。
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幸福とは人を殺さないことである。――自殺は社会が負うべき債務である。あの世というものが存在せず、あの世からの勧誘ということを考えられない以上、現世のわれわれの行動にすべて責任があるとみなすべきだ。そして人間全体の幸福はいかに人を自殺も含めて殺していないかで測るのがふさわしい。われわれが社会の一員である以上、その一つ一つの行為が全体に影響を及ぼしている。どうして無関係を装えるのだろうか?人類全体の不幸を背負うような優しさが人にはないのか?
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