2009年03月19日

まぬけのウィルソンのカレンダー:3月の2

「I'm an outsider, outside of everything.」
少し格好つけすぎだが、印象に残る言葉だ。

71
一言で人を語る。――彼が『偶像の黄昏』でやっていたのを真似して、一言でその人物作品を描写しようと試みる。指し当たって漫画家でやってみよう。むろん、取り上げる価値のある人物のみを述べる。
押切蓮介。恐怖をもたらし、一方は救いをもたらすものとしての力の二面性。福満しげゆき。近視の目で全世界を語る。美川べるの。ギャグ漫画の唯一の正統伝承者。岩明均。死は瞬間である。新井理恵。意識の迷宮の彷徨。大和田秀樹。世界は派手さを求め面白くなる方向へ。古賀亮一。笑いの百科事典、ガトリング砲。増田こうすけ。パラレルワールドの開示者、スウィフト的な。施川ユウキ。思考のみ存在する世界、哲学者。西岸良平。顔が表現するノスタルジー。桑田乃梨子。一般人とだめっこの混合の試み。古谷実。笑いに引き立てられる孤独と絶望。最後に浅野いにお・・・は良い表現が見つからないのだが、漫画界の未来をその肩に背負っている人物である。


72
科学のマイナス。――科学のマイナス面は、もはや世界について考えさせてくれないことである。説明のなかった昔に比べ、説明されている世界で疑問を見つけることの難しいこと!もちろん過去においても世界は(創造神話などの方法で)説明されてはいたのだが、現代の科学はずっと支配的な力を持っている。これが科学者を育ちにくくさせるのはもったいないことだ。

73
世界を広げるには。――世界が広がるとは帰納的に造られた常識に対する例外に出会うことである。自らの常識を構築しないですべては良い、のような態度はいささか危険だ。

74
絶対音感。――これほど人間的な規定があるだろうか?音階は唯一のものではなく恣意的に定めたもので、「絶対」を読み取れるようになるのは単にそういった訓練を積んだからに過ぎない。ある本によるとそもそも日本以外ではこんなもの存在していないというのだ。これで音楽を理解した気になっている人間はその奥へ踏み入ることはできない。

75
ゲームの神話性。――ゲームの神話性とはただ単語の引用元としての神話(オーディーンとか)にあるのではない。例えばドラクエ1では、システム的な都合から橋を渡ると敵が強くなるようになっている。これは民話などの分析でよく語られる橋=異世界の入り口もしくは境界というモチーフにそっくりである。われわれがそれを意識しないのは橋を架ける苦労や境界の感覚がないからなのだが、ドラクエはそれをうまく保存してくれている。

76
日本語の特性。――この文章を構成している言葉について、ひとつ顕著な、よその言語で未だ発見できていない特徴がある。それは語尾によって文の意味が作用されることである。われわれはその例をしばしば見ている。「〜っス」とか「〜だワン」とか「〜りゅん」とかその模索の過程は果てしなく、文章においても(笑)などは文の強さ、性格を規定する。外国語においては付加疑問文のようなものはあるが、常につけて個性を表現する類のものは見つからない。宮沢章夫によると「ナンチャッテ」と「ダヨーン」は違い、前者は文の意味に左右するが後者は文を脱構築するらしい。なんとも深遠な分析ではないか。

77
この世界はどうなっているのか。――カエサルという名の猿がいる。プラトンという名の豚がいる。サルトルという名のふきんがある。サルトルは『1、2のアッホ!』で猿としても登場していた。次はスピノザという名の映画館か、トマス・アクィナスという名の秋茄子か?

78
集団の愚。――ジャンプ漫画はとにかく協力すれば何でもできるということを主張し、それは一理ある。しかし一方集団の愚も確実に存在する。その良い例が大学である。ひとつの授業にあれだけの人数がいれば、誰かが遊びに行こうと言い出すもので、個人としては優秀なのに群の中に入ると愚かな決定に従ってしまうものである。ドーキンスも同様の事を持ち出し、陪審員制度を批判していた。これは要するに頭の働きについての問題なのである。岩を運ぶのだったら人数は多いほうが良い。しかし、大人数が参加して良くなった小説はない。集団で愚かなことをやる会議も裁判も、止められるのは個人のみなのである。

79
小咄。――「『山羊』は『ヤギ』でしょ?じゃあ『羊』は『ギ』?」と言った人がいた。この話からわかるのは山羊は二次的な名称であって、アライグマなどと同様日本では馴染みの薄い動物だということである。

80
しるしを読むことの難しさ。――エリアーデは「シンボルはその意味が意識をのがれているときでさえ自己の伝言を伝えてその機能を果たす」と言った。つまり本人の意図しないことをも伝えるためにシンボル解釈は意義があるのであって、一方大学の先生が言った「あるシンボルにまったく意味がないということを証明するのは不可能である」というのもある。しるしに気づかないのも問題だが、多くを読み取りすぎると邪推や占いとなってしまう。難しいところだ。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/115900905

この記事へのトラックバック