タイトルはたぶん「ライプニッツ万歳」のような意味。詳しくはSFCソフト『ドラッケン』を参照のこと。
ライプニッツが現代において大きな障害となる点は、その神思想がインテリジェント・デザイン論と類似していることである。
ID論への攻撃はスパゲティ・モンスター(スパモン)教の提案などによって行われているが、その論法は「そのような思考法なら、こんなへんてこな神も容認することになる」というもので、結局神の計画がないという絶対的な反論はなされない。
ライプニッツの要旨は「最善の計画をなすものであれば、神の姿などにはこだわらない」というものなので、その根底となる充足理由律や予定調和を突き崩さない限りは神の存在は揺るがない。
そういう点で彼の要求する神は自然科学と共存可能であり、むしろそれを望んでもいるので、ID論が洗練されてライプニッツ的なものとなったときにその手ごわさは最大となるだろう。
もちろんライプニッツの論を踏まえてもこれを生物の授業で教えるべきでないというのは否定されえないものなのだが。
『弁神論』の中でライプニッツが卓越したユーモアを発揮している箇所があるとすれば、それは工作舎『ライプニッツ著作集6』p227であろう。
ここでは彼は「もし徳だけしかなかったり、理性的被造物しか存在しなかったりしたら、善はもっと少なくなってしまう」という多様性の賛美を行っているのだが、その例が愉快である。引用すると、
「どんなに貴いものであっても同じものを変わりばえもせずただ繰り返すだけならば、それは過剰であり、貧困であろう。書斎に千冊ものウェルギリウスを束ねておいて置くこと、オペラ『カドミュスとエルミオーネ』のアリアだけを歌って明け暮れること、磁器を全部壊して金製のカップだけを用いること、ダイアモンド製のボタンだけをつけること、ヤマウズラしか食べないこと、ハンガリーのワインかシラズのワインしか飲まないこと、こうしたことが理性的といえようか。」
たぶんこれらはライプニッツにとって価値の高いもの、好きなものなのだろう。ここ一つで『弁神論』全体を貫く思想が現れているともいえる。それにしてもヤマウズラはそんなにおいしいのだろうか。
この付近では彼は「相変わらずのベール節だが」と言ってみたり、かなりリラックスした様子が見られる。
ライプニッツの最大の敵といえば、一つは「恣意的」であって、もう一つは「仏(フォー)」である。
前者に関しては判断者の無能力のためでしかないものであり、後者は『最新中国情報』に「いまわしい仏の偶像」とあるように、やたらと忌み嫌っている。
哲学者は当時の自然科学が未発達なゆえに、現代から見るとファンタスティックかつ的外れな発言をして冷笑を浴びることがある。
カントが太陽系の惑星にはそれぞれ人類がおり、太陽から離れていればいるど洗練されていると述べたことなどはその例だが、ライプニッツにもそうした箇所がある。
『プロトガイア』においてユニコーンの存在を丁寧に復元骨格図までつけて主張しているのである。しかしイッカクという生物は現実にいるのであって、これは想像力が生んだ些細なミスといっていいだろう。
ライプニッツがプラトンの顔を見せる部分が存在する。『弁神論』の最後の節である。ここではピラミッド状の天上世界が提示され、ある人の全人生が記されている書物が登場する。
そこから見ると人間にはナンバーが付いて見え、書物の番号と対応しているのがいかにもライプニッツらしいのだが、これではまるでアカシックレコードである。彼の未来予知論は最大の謎を含んでいる。
プラトンの対話編は神話が語られて終わることが多いのだが、意図してか偶然か、『弁神論』もその様相を呈している。
ライプニッツ=アルノー書簡v2.124および他の著書において彼の「精神」概念が提示されているのだが、それは人間と動物を分けるものである。
彼は動物に対して世界の重要な構成要素と考え、決してないがしろにはしない。動物は記憶に基づいた判断は行えるが、自己認識をした判断は行えないとされている。
そして人間のみが持っているものこそが「精神」であって、それは「神を認識することが出来、かつ、永遠真理を見出すことが出来るもの」なのだ。精神が神と強い関わりを持っているのは以前述べた通りである。
つまり「家畜に神はいないッ!!」
ショーペンハウアーが絶大な自信を持って刊行している著作『根拠律の四つの根について』の中ではライプニッツが大きく依拠している因果関係および充足理由律に対する考察がなされている。
その中での神の証明に対する反論は、「生成の根拠律は変化にしか適用できない」というものであり、世界の存在に関しては「生成の根拠律」つまり充足理由律は用いることはできないと述べている。
確かにこれだと「世界の存在理由」を求め、神に行き着くという論法は回避されるが、では変化によらない世界の誕生とはどんなものかと問いたくなる。それは一回限りの、特別な事象なのだろうか。
この著作においてライプニッツは実にぞんざいに扱われている。充足理由律をさも自分が発見したかのように大仰に持ち出していると述べているだけだ。
その記述はショーペンハウアーの飼っているプードルについての箇所に匹敵するほど短い。
その文章によれば、彼のプードルはとっても賢いらしい。彼はおそらく植物も育てていたのではないかと思われる。植物ほど「意志がむき出し」のものはないからだ。
この著書は、ヘーゲルに対する呪詛に関しても哲学界随一の充実ぶりだといえるだろう。
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